わたしの冒険

 彼と私は大学で同じ山岳サークルに入っていました。私たちは卒業旅行でエベレスト登頂を計画しました。その頃の私たちには自分達の力が本当の意味では解っていませんでした。
 その卒業旅行で私たちは本当の山の恐さと自分達の力の無さを思い知らされる事になったのです。



 私たちは何とかベースキャンプへ辿り着いたものの山頂の気候が思わしくなく足止めをくっていました。帰りの日にちは刻々と近づき私たちは焦りはじめていました。そんな時、急に山頂の雲が晴れたのです。私たちはベテランの登山家たちをしり目に登頂を決意しました。
 しかし山頂までの道のりは思いのほか厳しく、思わぬ時間を要してしまいました。私たちは全然わかっていなかった。登山は降りてきて初めて成功なのです。降りることを疎かにした計画はただただ無謀なだけだったのです。
 私たちは三分の二も登れぬまま、またガスに包まれはじめた山頂をあきらめた時にはもう降りることが出来なくなっていました。山頂までの岩場にはどこにも身を潜める場所さえなく私たちは前も見えず強風に吹き飛ばされそうになりながら必死に下山していきました。
 それは険しい岩場を這うように歩いていた時でした。突然の強風にあおられた私は岩場から滑り落ちてしまいました。私は岩に体を打ち付け気を失ってしまいました。

 どれだけ時間がたったのか判りません。私は目を覚ましました。そして理解しました。
私はクレバスに落ちてしまったのです。とても簡単に助けだせる場所では無いことはすぐに判りました。私にできることはザックに残った少しのアメ玉を舐めながら仲間たちが救助を呼んで来てくれる事を願うことくらいでした。彼らも遭難したかも知れない事は出来るだけ考えないようにしました。

 しばらくすると手足の感覚が無くなってきました。指も動かなくなりアメ玉を取り出すことも出来なくなりました。
それからどうなったのか私にも解りません。いつの間にか気がつくと病院のベッドで寝ていたのです。
 仲間たちも全員無事でした。私たちは運良く助かったのです。私は私の生還を喜ぶ仲間と抱き合って無事を確かめ合いました。その時気付いたのです。

 わたしの腕の先には手がありませんでした。

 わたしは半狂乱になり病院のベッドから転げ落ちました。痛い・・・そしてわたしの目に映ったのは先の無い棒のような足でした。わたしはショックで気を失いました。



 わたしは幸運だったのだそうです。危うく命が無くなるギリギリで救助されたそうです。でもわたしは喜ぶ事は出来ませんでした。ひどい凍傷になった手足は切るより方法が無かったと聞かされてもとても納得できるものではありませんでした。しかし切られてしまった手足はどうする事もできませんでした。冷凍庫に入れられていたわたしの手足は真っ黒に腐っていました。


 日本に帰ってもわたしは普通に生活する事さえ出来ませんでした。決まっていた就職もあきらめました。実家でずっと座って過ごすうちに心が荒んで家族にも当り散らすようになりました。そのくせ何をするにもトイレで用を足すのさえ家族の世話にならなければいけませんでした。いちいちお尻を拭いてくれる母にも当たりこそすれ感謝することなど出来るはずもありませんでした。

 わたしはだんだん家族に疎ましがられるようになり家にも居づらくなりました。でもわたしには何処にも行く所がありません。そんな時彼がやって来たのです。彼はわたしと一緒に住もうと言いました。私はとにかく家を出る事が出来るのが嬉しく深く考える事も無く彼の申し出を受けました。家族も心配はしたものの気持ちはわたしと同じだった思います。


 わたしは彼の家に行くことになりました。


 彼の家に着くと知らない男の人がいました。そこで彼はあることを打ち明けました。彼はわたしに義手と義足を作ってくれるのだと言いました。知らない男の人はそれを作る職人さんでした。

 その男の人はすぐに作業にかかりました。なにかの粉を4つのバケツに入れ水を入れながらドロドロにかき混ぜると、その中にわたしの手と足を関節までいれました。時間を節約するために4本同時に型を取ったのでその間わたしは四つん這いにならねばならず恥ずかしい思いをしましたが一生懸命我慢しました。

 彼との生活は想像したよりも辛いものでした。彼は家族のようにはわたしにかまってくれません。わたしは家の中を四つん這いで這い回らなければなりませんでした。
なにより困ったのはやはりトイレでした。彼の家のトイレはわたしの実家と違い和式でした。当然ウォシュレットも付いていません。わたしはヨロヨロしながらおしっこをするとそのまま拭かずに不自由な手でパンツを上げました。それでパンツはすぐに黄色い染みがついてしまいました。でもそれはまだいいのです。うんこの時は彼を呼んでお尻についたうんこを拭いてもらわなければなりません。彼は後ろからおしりの穴を拭いてくれます。わたしは彼におしりを拭いてもらいながら申し訳なくて、情けなくていつも泣いてしまいます。
 その恥ずかしさからいつしか彼に対しても当たるようになっていました。でも彼は何も言わずにそんなわたしの面倒を見てくれました。

 そんな生活が一か月も続いたころやっと義手と義足が出来たと連絡が入りました。わたしたちは彼の車で指定された場所へ向かいました。

 着いたときわたしは少し驚きました。そこはファミリー牧場のような所でした。

 車を止めると彼はわたしをだっこしてログハウス風の建物の中へ入っていきました。そこはカントリー調の部屋でテーブルの両側にソファーがあり奥には暖炉がありました。彼はわたしをソファーに座らせると奥の部屋へ入っていきました。わたしはソファーに座って待っていました。

 しばらくすると彼は二人の男と一緒に出て来ました。ひとりはこの前に会った義手屋さん。もうひとりは知らない人でしたが、そのウエスタン調の風体からこの牧場の人だと判りました。

 三人はお茶を飲みながら話していました。わたしは手が無いので恥ずかしくて飲まずにいたのですが彼に指摘され仕方なく二本の腕で挟んで飲みました。それは驚くほど甘いお茶でした。わたしは我慢して飲み干しました。その後三人の話を聞いているうちになんだか無性に眠くなってきました。

 気がついた時にはわたしは干し草の上に寝ていました。あたりを見るとコンクリートの囲いの中で彼と二人の男が見下ろしています。わたしは体を横にして干し草の上に寝ていたのです。
 彼はわたしに立つように言いました。でもわたしが立てないのは知っているのに。そう言おうとしたのですが口に何か挟まれてしゃべることが出来ませんでした。
 そんなわたしに彼はもう義手と義足を着けているから立てるのだと言いました。

 わたしは立とうとして体を見るとそれは人間の身体ではありませんでした。わたしの身体は何か草食動物のような身体になっていたのです。

 戸惑うわたしを見て三人の男たちは嬉しそうに笑いました。

 彼はまたわたしに立つように言いました。わたしは立とうとしましたが思うように立てません。横向きに寝ていた体をひねって両手で身体を支えましたが腕の先には手ではなく二本の棒のような蹄が付いていてうまくいかず腕がぷるぷる震えました。一生懸命に腕で身体を支えて足で立とうとすると前につんのめってしまい顔から干し草の上に倒れました。三人はどっと笑いました。

 わたしはまた立ち上がろうとしました。こんどは腕を少し曲げた状態で足を立て腕と足の両方で同時に身体を持ち上げました。わたしの腕と足はぶるぶる震えて前後に激しく揺れると崩れ落ちてしまいました。三人はまた笑いました。

 ウエスタン調の服の男がいいました。最初はみんなこんなだと。どの草食動物も生まれてすぐはこんな感じだと言いました。

 わたしは草食動物ではありません。そう言おうとしましたがうんうん唸る事しか出来ませんでした。彼はまたわたしに立つように言いわたしは立ち上がろうと必死でした。

 何度も挑戦してやっと震えながらも四つ足で立ち上がる事ができました。すると彼はわたしの体を突き飛ばしわたしは干し草の上に倒れました。また立ち上がってもまた倒されました。干し草は柔らかく体は痛くありませんでしたがわたしは悲しくて涙が出ました。泣きながら何度も立っては倒されているうちにだんだんに立つコツがわかってきて少々突かれても倒れなくなりました。男たちは代わる代わるわたしを突いて倒そうとしましたがわたしは踏ん張って倒れませんでした。男たちはニコニコしてわたしを見ていました。

 彼はわたしに言いました。おまえは今日からここに住みなさい。わたしは嫌だと首をふりましたが彼らは金属の柵で出来た扉を閉めて行ってしまいました。わたしはうんうん唸りながら四つ足で扉の方へよろよろ歩いて近づくと柵の間から覗きました。三人はそのまま行ってしまいました。わたしは独り囲いに中にとり残されてしまいました。

 わたしは足だけで立とうとしましたがどうしてもバランスを取る事ができません。わたしは四本の足で立つ事しか出来ませんでした。わたしは立つことに疲れてしまい座りましたがどうも上手く座れません。横になって倒れているといつのまにか眠ってしまいました。


 わたしは騒々しさに目を覚ましました。柵の向こうにはたくさんの動物が歩いていました。
それはヤギでした。外に出ていたヤギたちが夕方になって厩舎へ帰って来たのでした。わたしはよろよろ立ち上がると柵に近づきました。ヤギたちは立ち止まって何を考えているのか判らない横長の瞳でわたしを見ました。すると後ろの方で犬が吠えヤギたちは慌てて行ってしまいました。

 最後にやって来た犬はわたしを見つけると激しく吠えました。するとウエスタンの男が現れ犬を叱りました。叱られた犬は大人しくなりました。男は言いました。明日から運動場に出るからそのつもりで今日はゆっくり休みなさい。わたしは男に訴えかけましたが何しろしゃべれません。男はわたしを置いて行ってしまいました。わたしは泣きながら干し草の上で眠りました。

 次の日の朝わたしは金属製のバケツを叩く音で目を覚ましました。動物たちを起こす為に叩いているのです。男はひとりで動物たちに餌を与え始めました。わたしの近くを通った時わたしはうーうーと唸って男を呼びましたが待っていろと言って相手にしてくれませんでした。

 動物に餌をやり終えるとわたしの所にやって来ました。男は手に哺乳瓶のような物を持っています。男はわたしにいいました。おまえは世話がやけるなあヤギなら草ですむのを朝からおまえの餌を作る為にいつもより手間がかかった。おまえはヤギの子供より世話がやける。男はそう言うと柵にその瓶を引っ掛けました。さあ飲むんだと男は言いました。わたしは嫌でしたが昨日から何も食べていません。わたしはゆっくりと瓶に近づきました。どうやって飲めばいいのだろうと考えていると男はちゃんと飲めるようになっているのだからくわえなさいと言いました。
 わたしは革の轡のようなもので口を塞がれています。口の中にはゴムのようなものが詰まっていてアゴを動かしたり舌を動かしたりできません。わたしが困ってもたもたしていると男は業を煮やして瓶を手に取りわたしの口の前に持って来ました。さあくわえるんだと男は言いわたしはゆっくり唇を開きました。ゴムのようなもので半開きのまま轡をされアゴも動かせませんでしたが唇だけは動かせました。男は開いた唇に哺乳瓶の乳首にあたる部分を挿入しました。するとそれはゴムの中の穴を通ってわたしのノドに達しました。わたしは恐る恐る吸うと瓶の中の液体がわたしのノドに流れ込みました。わたしは激しく咳き込みました。
 男は怒って言いました。なにをやっているんだ上手に吸わんか。そして扉を開けて入ってくるとわたしのアゴの下を持ち顔を上向かすと哺乳瓶をくわえさせ飲ませました。男に乳首の位置を調節してもらうとごくごく飲む事ができました。解ったかこうやって飲むんだと男は言いわたしは首を縦に振りました。

 飲み終ると男は小屋を出て行きあちこちで扉を開ける音がすると目の前をヤギたちが通っていきます。犬が遠くで吠えるとヤギたちは慌てて駆け出して行きました。2・30頭のヤギが出て行くと犬がやってきました。犬はわたしがまだ小屋の中にいるのを見ると小屋の中に入り吠えました。わたしは犬に吠えられながら小屋から追い出されました。犬はまだ立つのがやっとのわたしを追い立てるように吠えます。わたしは転びそうになりながらももつれる足でよろよろ歩いていきました。

 そこには広い運動場がありました。運動場には沢山の棒杭が立っています。犬に追い立てられてやって来た私に男は棒杭の上に立つようにいいました。棒杭は直径が15センチほどで地面から10センチくらい出ています。わたしがもたもたしていると男は持っていたムチでわたしのお尻を打ちました。わたしはびくっとしました。毛皮のスーツを着ているわたしはそんなに痛くはありませんでしたがムチに打たれるという行為がわたしにショックを与えました。私は無意識にこの男の言う事をきかなければいけないのだと憶え込まされました。

 わたしは狭い棒杭の上に二本の前足を乗せました。男はまたムチでわたしを打ち後足も乗せるのだと知らせました。わたしが狭い棒杭の上に必死に四本の足を乗せると男はしばらくそのままでいろと言って他のヤギのところへ行きました。狭い棒杭の上でぷるぷる震えながら見ているとヤギたちは男に指図されながら1メートル以上もありそうな棒杭の上をいとも簡単に渡っていきます。わたしは自分がヤギと同じことをやらされようとしている事に気付きました。

 しばらくすると男はわたしの所へやって来て目の前にある同じ高さの直線に並んだ棒杭の列を指しました。わたしは右前足を前の棒杭に移動させると男はうんうんと頷きました。しかしわたしが次にどの足を動かせばいいのか判らないでいると男は右の後足をムチで軽く触りました。わたしはその合図で右後足を同じ棒杭に乗せました。次に男は左前足を指しわたしが左前足をもう一つ前の棒杭に乗せると今度は左後足を指しわたしは左前足と同じ棒杭に乗せました。男はこれが不安定な所の歩き方だと言いました。確実に前足を乗せた場所に後足を持ってこなければならないと。男はわたしに一列に並んだ同じ高さの棒杭を指し続けるように言いました。わたしは棒杭の上を行ったり来たりしました。そうやってわたしは足の動かし方を憶えていきました。

 棒杭の上を歩いていてわたしはふと気付きました。昨日まで赤ちゃんのようにはいはいして歩く事しか出来なかったわたしがこんな棒杭の上を危なっかしくではありますが歩いているのです。これなら何処へだって歩いて行けそうです。しかしわたしの身体はヤギのようでした。こんな身体ではたとえ歩けたとしても人前に出る事はできません。わたしは俯いて歩き続けました。

 突然男はわたしに歩き続けているように言うとヤギたちを集めて連れていきました。10分ほどするとスピーカーから出るような大きな声が聴こえてきました。それに続いて大きな歓声が聴こえてきました。どうやらヤギのショーをやっているようです。わたしはそれを聴きながら歩き続けました。スーツは良く出来ていて腕も足も柔らかい素材で包まれて痛くありません。微妙にスプリングも効いているようで慣れてくると軽快に歩けるようになっていました。

 ショーが終ってヤギたちが帰ってくると自由時間になったようでヤギたちはそれぞれ座ったり干し草を反芻して過ごしています。わたしはまた特別に作ってくれたという餌を哺乳瓶で飲みました。今度はぶら下げられた哺乳瓶の乳首を自分でくわえて飲みました。突き上げながら飲むと液体がスムーズに出て来て上手に飲むことが出来ました。

 午後は30センチの高さの棒杭を歩きました。歩くのに慣れたわたしは上手に歩く事が出来て男は褒めてくれました。

 午後のショーも終り夕方になると犬に吠えられながら厩舎に戻りました。朝のようにふらふらする事も無く無事に自分の厩舎へ帰ることが出来ました。


 次の日は30センチの棒杭を早足で歩きました。午後は離れた棒杭を歩かされちょっと危なっかしかったけどなんとかこなす事が出来ました。

 次の訓練はその場でぴょんぴょん飛び跳ねる事でした。飛び跳ねていると足のスプリングが効いて結構高く跳べる事が判りました。跳べるようになると2メートルほども離れた丸太から丸太に跳び移るように言われましたがわたしが恐くて跳べないでいるとお尻をムチで叩かれました。わたしはムチで叩かれた瞬間ヤギのように無意識に跳んでいました。難無く離れた丸太に跳び移ったわたしは嬉しくなって丸太の上でぴょんぴょん跳ねました。男は元居た丸太をムチで指しました。わたしはまた跳び移りました。

 こんなことを毎日繰り返すうちにわたしはヤギのように自由に棒杭や丸太の上を歩いたり跳んだり出来るようになっていました。地面の上でも他のヤギたちと一緒にかなりの早さで駆け回ることが出来ました。


 そんなある日男はわたしにショーに出てみないかと言いました。わたしが躊躇していると男はわたしの轡を外し口の中のゴムを取り除きました。男はわたしに本当の気持ちを云いなさいと言いました。わたしがこんな姿で人前に出るのは恥ずかしいと言うと男はわたしの姿は素敵だと言いました。わたしがそんな事は無いと言うと今のわたしは輝いていると言いました。わたしはその言葉に勇気づけられて本当はショーに出てみたいと伝えました。その日からショーの演目の練習が始まりました。それは厳しいものでしたが上手に出来た時に舐めさせてもらえる塩を励みに頑張りました。




 ショーの日ヤギたちの出番が終わりに近づいてわたしの出番がやってきました。わたしは人前に出る事に緊張していました。大きな声でわたしは呼ばれ舞台に出ると一瞬にそれまで歓声を上げていた子供やその親たちが凍り付いたように静まりかえりました。男はわたしが手足が無い事やこれまでの歩けない生活をかいつまんで説明しわたしのショーが始まりました。
 わたしは舞台の棒杭の上にあがるとだんだん高くなる棒杭を昇っていきました。一番高い所は6メートルもあります。わたしは何度もやった練習を思い出しながら上まで昇るとまた降りてきました。子供たちからパラパラと拍手がありました。次はメーンイベントの輪くぐりです。3メートル離れた丸太の間にある輪をくぐって向こうの丸太に着地するという難しい芸です。ヤギたちはそのままやりますがわたしは輪っかに火をつけて行うのです。会場の人々の人間にそんな事が出来るのかという心配が伝わってきました。わたしは丸太の上で何回か足踏みすると火のついた輪っかをくぐり見事3メートル離れた丸太に着地しました。その途端会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれました。男が差し出したマイクに有り難うございましたとお礼を言うとまた拍手がわきあがりました。わたしは嬉しくて涙ぐんでいました。


 わたしのショーはすぐに話題になりテレビで放送されるとたちまち全国からお客さんが来るようになりました。もちろん好意的な人ばかりではなかったし興味本意の報道もされましたがわたしが一生懸命にショーをやっていることがだんだんに理解されるようになるとファンレターまで来るようになりました。わたしは更に難しい演目にも挑戦しました。いつしかわたしは障害者のみんなに憧れられるようになっていました。最初は突然の出来事に困惑していた家族も実際にわたしのショーを見て生き生きと演目をこなすわたしを誇らしく見てくれるようになりました。


 そして彼はわたしをこんな姿にした理由を話してくれました・・・・




 今わたしはエベレストにいます。テレビカメラが日本中に中継する中わたしは特別に開発された寒冷地仕様のスーツに身を包んで氷に覆われた岩場を登っていきます。蹄は最も岩場に適応したカモシカの仲間ゲムズボックの蹄のかたちを参考にし氷の上でも滑らないようにスパイクを付けた特別なものです。わたしはあの日登る事が出来なかった山頂までの岩場を四本の足で易々と登っていきました。


おわり





 
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